体験入部/前編
「リョーマ。テニス部、一緒に行っていい?」
日雀はラケットバッグを抱えたリョーマに向かって笑顔で問いかけた。
そんな笑顔に、リョーマが首を横に振れるハズがない。
「別にいいよ」
リョーマの返事に、日雀は嬉しそうに自分の鞄を抱え、小走りで駆け寄った。
「テニス部って、どんなところ?」
コートに向かい足を進める中、日雀はふとそんなことを問いかけた。
「・・・どんなところって?」
「うーん、楽しい?」
「さぁね」
「・・・ふーん。楽しいんだ?」
「・・・なんでそういう解釈になるの?」
「だって、リョーマ、楽しそうな顔してるもん」
そう言い、日雀は得意げに満面の笑みを浮かべる。
リョーマは小さくため息をついた。
『日雀に悪い虫がつかなきゃいいけど・・・』
リョーマがそんな悩みを抱えていることなど、当の本人は知る由もない。
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「にゃー!日雀ちゃんっ!」
最初に日雀に飛びついたのは菊丸だった。
飛びついたというより、正面から勢いよく抱きついたという表現が正しいだろう。
「お昼ぶりですね、英二先輩」
そう言い、日雀は自分に抱きつく菊丸の背中をポンポンと叩いた。
「英二、日雀ちゃんが嫌がってるだろ?そろそろ離れたら?」
そう言葉を紡いだのは不二だった。
「えー、日雀ちゃんは嫌がってないにゃ!そうだよね、日雀ちゃん?」
「ハイ。嫌じゃないですよー」
「ホラ!日雀ちゃんもそう言ってるにゃ!」
英二は日雀に抱きついたまま、不二に向かって意地悪そうな笑顔で舌をペロっと出した。
「・・・英二?僕の言ったこと、聞こえなかった?」
闇オーラを纏った不二のダークネススマイルが英二を射抜いた。
固まる菊丸をよそに、菊丸の影にいた日雀には不二の冷笑は見えなかったのか、首を傾けていた。
「あ、日雀ちゃん。来てくれたんだね・・・って、どうしたんだ、英二?」
大石は嬉しそうに小走りで日雀の元に歩み寄った。
日雀の傍には普段と同じ笑顔を浮かべた不二と半泣き状態で固まる菊丸、そしてその光景にため息を漏らすリョーマがいた。
「さぁ?幽霊でも見たんじゃない?」
大石の問いに不二は笑顔で答える。
「大石先輩、お言葉に甘えて見学に来させて頂きました」
そう言い、日雀は丁寧に頭を下げた。
「そんなに畏まらなくていいよ。こっちこそ、無理言って悪かったね」
「いいえ、全然大丈夫ですよ」
日雀は誰もを虜にするような笑顔を浮かべてそう言った。
「じゃあ、あっちへ行こうか?みんな待ってるから」
「はい」
日雀は4人の男達に囲まれて、部長である手塚のいる場所まで足を進めた。
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「手塚、日雀ちゃん、来てくれたよ」
大石は目の前の男───────手塚に笑顔でそう言った。
「あぁ。・・・出雲」
「はい?」
手塚は日雀に向き直った。
「とりあえず、好きに見学してくれればいい」
「わかりました。有り難う御座います」
手塚の言葉に、日雀はやはり丁寧に会釈して返し、ベンチにいる乾の元へと走っていった。
「日雀ちゃんってさ、物言いとか凄く丁寧だよね」
ふと不二がそう呟いた。
「うん。普通の女子達と比べて、仕草とか凄く大人びてるし・・・」
不二の呟きに、菊丸がそう言うと大石と手塚もそれに頷いた。
「仕方無いっスよ」
声を出したのはリョーマだった。
それと同時に4人の視線がリョーマへと向けられる。
「・・・仕方ない?」
手塚は眉を潜めてそう言った。
「アイツの家、凄く厳しいんだよね。だから日雀、昔っからあんな感じっスよ」
リョーマは短くそう答えた。
実際、日雀は武道出雲流本家の人間だ。
それも『息子』という位置づけで育てられている。
幼い頃からの礼儀作法は勿論、立ち居振舞いなど、本家の人間として恥じることのない物を身につけさせられていた。リョーマはそんな日雀を幼い頃から見てるため、歳の程を感じさせない日雀の落ち着いた仕草などには慣れている。
一方、そんな事は露とも知らない4人は「両親の躾が厳しかったのだろう」と自己解釈した。
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「乾先輩」
ふとかけられた声に、乾はノートから視線を離し、自分へ声をかけた人物へと目を向けた。
「やぁ」
「こんにちわ。お隣、いいですか?」
「うん。どうぞ」
「有り難う御座います」
そう言うと、日雀は乾の隣に腰を降ろした。
ベンチに座る2人の光景は、傍から見れば少々異様な光景だった。
乾はふと疑問に思った。
彼女が何故自分の元へとやってきたのか。
───────データのよれば9割の女子なら手塚・不二・菊丸・越前のいたさっきの場所から動こうとしないだろうに。
「俺に何か用かい?」
疑問に思った乾が日雀に声をかけた。
「乾先輩、昼間言ってたじゃないですか。『今は俺がマネージャーの代わりをしてるんだけど、手伝ってくれると嬉しい』って」
「・・・あぁ」
乾は思いだしたようにポンと手を叩いた。
「だから、マネージャーの仕事を把握するんだったら、乾先輩の行動を見ているのが一番いいかなって思って・・・ある程度マネージャーの仕事内容が把握できなきゃ、見学に来た意味が無いですからね」
「なるほどね」
言葉と共に乾はノートに筆を走らせた。
「乾先輩」
「ん?」
「そのノートの記帳もマネージャーの仕事なんですか?」
日雀の言葉に乾の行動がピタリと止まる。
「いや、これは」
「そのノートは乾専用だよ、日雀ちゃん」
乾の言葉を遮るように横から姿を現したのは不二だった。
「乾先輩専用ですか?」
「うん。日雀ちゃんはマネしちゃダメだよ」
不二はクスクスと笑い、乾は小さくため息をついた。
一方の日雀は最後の不二の言葉の意図が理解できなかったのか、小首を傾げていた。
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気がつけば、ベンチ周りをレギュラー陣が囲んでいた。
目の前のコートでは桃城・リョーマが試合をしている。
日雀はふと、ベンチの傍に立つ海堂へ視線を向けた。
「海堂先輩」
突然の呼びかけに驚いた海堂は、視線だけ日雀へと向けた。
本人がどこまで自覚しているかは不明だが、傍から見ればまさに『睨みつけ』の状態だ。
「足の方は大丈夫ですか?」
そんな海堂の視線に全く臆することなく、日雀は笑顔で問いかけた。
「・・・あぁ」
呟くような返事だったが、日雀の耳には確かにそれが届き、日雀は再び笑顔で返した。
「そういえば、日雀ちゃんってテニスは出来るのかい?」
大石が笑顔で問いかけた。
それに伴い、その場にいるレギュラー陣の視線が一斉に日雀へと向けられる。
「一応、出来ますよ」
「一応?」
「はい。私、殆どがリョーマと打ち合う事しかなかったから」
「・・・越前と?」
「はい。リョーマが私の暇を狙っては『テニスに付き合え』って来るんですよ」
そう言い、日雀は苦笑した。
日雀の何気ない言葉に、その場の全員の行動がピタリと止まる。
そして、全員は目の前のコートで試合をするリョーマへと視線を向けた。
リョーマは小柄ながら、その技術や持ち前の持久力、どれをとっても他のレギュラー達に劣らない。
そんなリョーマと『普通の少女』が打ち合いをしたところで、勝負は明らかに見えているだろう。
第一、面倒を嫌うリョーマが、そんな分かり切った勝負をするはずもない。
ましてや、自分から自分の相手としてテニスに誘うなど、考えられなかった。
───────越前と打ち合うなんてあり得ない
全員の同様の疑問を抱いていた。
「それって、試合形式で打ち合うのか?」
乾が全員の疑問を代弁して口を開いた。
「そうですよ」
男達の気持ちなど露知らぬ日雀は笑顔のまま続ける。
「・・・ちなみに、どっちが勝つ?」
乾は筆を持つ手に力を入れた。
「私、リョーマに負けたこと無いですよ」
あっけらかんとそう答える日雀をよそに、男達の驚きは内心半端なものではなかった。
半ば信じられなかったが、目の前の少女が嘘を言っているようには見えない。
───────越前がこの少女に勝てない・・・?
───────それが本当ならば、自分が戦えばどうなる・・・?
「日雀ちゃん」
ふと声を出した人物へ日雀を含め全員の視線が向けられる。
「俺と勝負してくれないかな?」
その人物───────不二は短くそう問いかけた。
そして、僅か十数分後、彼等は信じられない光景を目の当たりにすることになる────────