共同合宿1
決められた集合場所はとあるバス停だった。
どうやら、相手校である氷帝は、顧問も含め全員集まっているらしい。
しかし、当の青学はまだ2人来ていなかった。
いつも予定時間よりも10分は早く行動する少女と、遅刻の常習犯である少年だ。
「越前が足を引っ張っている確率、97,9%だね」
乾はノートに目を走らせながらそう呟いた。
その言葉に、青学レギュラー陣・見送りに来ていた顧問のスミレが盛大なため息を漏らす。
決められた集合時間まで、残り1分。
「おいおい、手塚。まだ全員揃わないのか?アーン?」
口の端を吊り上げて跡部が手塚に歩み寄った。
一方の手塚はさほど気にしないと言った様子でそんな跡部に視線を向けている。
「じきに来る」
「じきにったって、もう1分きってんだぜ?」
「少なくとも、2人の内1人は必ず来る」
「へぇ・・・大した自信だ「遅くなりましたッ!!」
跡部の言葉を遮るように、上空から声が聞こえた。
トンと身軽な音を立て、その声の主は綺麗に着地した。
どうやら、全員の背後にあった4、5メートル近くあろう石垣の上から飛び降りてきたのだろう。
全員、驚きに目を見開いている。
「ちーっス」
続いて、一人の人物が石垣の階段から下りてきた。
「リョーマ、遅いよ」
「石垣飛び降りなくても、階段降りればいいじゃん」
「階段降りるより、飛び降りた方が早かったんだもん」
同じような帽子をかぶった二人が、短くそんな会話をかわしていると、急に周りに影が差した。
二人が見回すと、周りを青学レギュラー陣に囲まれていた。
氷帝レギュラーからは、青学レギュラー陣が死角になって、2人が見えない状態だ。
日雀はまず向き直り、丁寧に頭を下げた。
「遅れてしまって、申し訳ありません」
そんな素直な反応を見せる少女に、勿論レギュラー陣が文句を言うはずもない。
「大丈夫だよ、出雲。出雲は集合時間の4秒前に到着したから遅刻じゃない」
「ホントですか?」
「うん。出雲が謝る理由はどこにもないよ」
乾はそう言い、日雀の頭をポンポンと撫でた。
「乾!ずるいにゃ!!」
そう言い、今度は菊丸が日雀に飛びついた。
普段からそれになれている日雀も、難なく菊丸のタックルを受け止める。
「英二、あまり調子に乗らないでくれるかな?」
菊丸の背後から、不二が冷ややかな笑みを浮かべてポツリとそう呟いた。
身の危険を感じた菊丸は脅えたように日雀から体を離した。
そんな中、乾は今度はリョーマへと視線を向けた。
リョーマはため息をつきながら日雀達に視線を向けていた。
「越前」
乾の呼びかけに、リョーマが乾へと視線を向ける。
「何っスか?」
「3秒27の遅刻だ」
「!!!」
そう言い、乾はどこから取り出したのか、不気味な色の液体の入った紙コップをリョーマへと差し出した。
出発前の一行の耳に、哀れな少年の奇声が聞こえた。
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「それにしても日雀ちゃん、なんで帽子なんかかぶってるの?」
「コレ、リョーマがかぶせてくれたんです。『今日は陽が強いから』って・・・」
その言葉を聞いた瞬間、レギュラー陣はリョーマが日雀に帽子をかぶせた『本当の意味』を即座に悟った。
「・・・そうだね。今日は陽が強いから、帽子は『絶対に』取らない方がいいよ」
『絶対』を強調した不二の言葉に、日雀とリョーマを覗く青学レギュラー全員が大きく頷いた。
そんな中、突然スミレがレギュラー陣の中を割って入ってきた。
「お取り込み中の所悪いね。ちょっと日雀を借りるよ」
そう言い、日雀をその群の中から引き抜いていった。
日雀はただ、スミレのされるがままになっている。
やっと歩みを止めたかと思うと、2人の目の前には1人の人物が立っていた。
柄物のスーツに切れ長の目をした、幾分厳しそうな表情の男性だ。
日雀はただ疑問符を浮かべていた。
「日雀、紹介しておくよ。こちらが今回、お前達を引率して下さる氷帝テニス部の顧問、榊先生だ。榊先生、この子がウチのマネージャーの出雲日雀です」
スミレの言葉に日雀の疑問が解かれ、今度は榊に向かって丁寧に頭を下げた。
「出雲日雀です。この度はお世話になります」
日雀の丁寧な挨拶に、榊は「ふむ」と口元に手を当てた。
そして日雀の横にいるスミレに視線を移して口を開いた。
勿論、榊は事前にスミレから日雀のことを聞いていたため、このような格好であっても日雀が女であるということは分かっている。
「確かに、よく出来たマネージャーですね」
榊の言葉に、スミレが満足そうに頷いた。
一方の日雀は二人の会話の意図が全く分からず、ただ疑問符を浮かべていた。
榊は再び日雀に視線を向ける。
「氷帝テニス部顧問の榊だ。何かあれば、私を頼ってくれればいい」
「はい。宜しくお願いいたします」
日雀は再び丁寧に頭を下げる。
中学1年生にしては丁寧すぎる、教育されたような完璧な挨拶だった。
勿論、長年、日雀と同じ年代の少年少女達を見てきたスミレや榊も、そのことには直ぐに気付いた。
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「バスで1時間・・・つまらないにゃ〜・・・」
バスに揺られながら、菊丸は大きく肩を落とした。
スミレの見送り後、青学レギュラー・氷帝レギュラー共に同じバスに乗り込んだ。
これから向かう旅館の送迎バスで、彼らの他に乗っている者はいない。
いわば貸し切り状態だ。
バスの中では氷帝レギュラーが座席の前から5列内に適当に腰を降ろしている。
青学レギュラーは逆に後ろから5列以内に腰を降ろして固まっている。
バスの中間部分は、まるで2校の境界線の如くがらがらに空いている。
勿論、特にこうして座るように指定されたわけではない。
両校の親睦・技術の発展向上を目的に催した合宿であるのに、まさに、「先が思いやられる」といった光景だ。
「英二先輩って可愛いね」
「・・・我儘なだけじゃん」
駄々をこねる英二を見ながら、窓際に座る日雀は笑顔でそう言った。
そんな日雀の言葉に、隣に座ったリョーマは呆れたようにそう呟いた。
「おい」
突然聞こえてきた声に、全員が声の主へと視線を向けた。
そこには、バスの通路に立つ跡部の姿がある。
跡部は青学レギュラーの座る座席まで歩いてくると、全員を一望した。
「お前等、一人多いんじゃねーの?」
跡部は眉を寄せてそう言い放った。
確かに、参加するのはレギュラー8人と補欠1名の合計9名。
青学が座る座席には10人いる。
勿論、定員オーバーは日雀である。
どうやら、氷帝レギュラーは青学から顧問の替わりにマネージャーが参加することを聞かされていないようだ。
「1人はマネージャーだ」
手塚が跡部に向かって短くそう言った。
「マネージャー?聞いてねぇよ。どいつだ?」
「・・・」
手塚は内心「墓穴を掘った」と焦った。
それは青学レギュラー陣も皆同じ考えだった。
日雀を出来るだけ目立たせまいと思っていたのに、これでは全く逆効果だ。
何も答えようとしない手塚に、跡部は痺れをきらしたのか青学レギュラーを見渡した。
────────嫌でも目に付く帽子が二人
先程、バス停で奇抜な登場を遂げた二人だった。
跡部は二人の座る座席に向き直った。
何も言うことなく、ただ視線を向けている。
一方の2人はそんな跡部に気付いていないのか、目を合わせようともしない。
跡部は口の端を吊り上げた。
「フン・・・まぁ、いい」
そう言い、跡部は氷帝レギュラーの座る座席へと戻っていった。
それを見た青学レギュラー陣は一同に胸をなで下ろす。
席に戻った跡部は、足を組み、指を絡めて口元に持っていった。
「・・・窓際のヤツか・・・」
跡部はそう呟き、再度不敵な笑みを浮かべた。
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1時間後、バスは目的の旅館へと到着した。
一同はバスを降り、周りを見渡した。
『山の中』と言うだけあって、眼下に広がる広大な大自然。
都内とは思えない光景だ。
そんな中に、旅館がぽつんと建っている。
建物自体は差ほど大きくない。
見るからに古びた印象があり、自分達以外に客もいそうにない。
しかし、ここが知る人ぞ知るテニス練習の穴場と言うのだから驚きである。
全員がそんな光景に見とれている中、日雀はバスの運転手と共にサイドトランクに詰めた全員の荷物を出していた。
以前からこの様な場所で何度も修行紛いの訓練を受けさせられてきた日雀にとって、この光景は美しいが、さほど珍しいものではなかったのだ。
日雀がトランクの荷物を出している時、ふと背後から影が差した。
振り返ると、そこには氷帝テニス部の部長である跡部が立っていた。
「お前がマネージャーだろ?」
「そうですけど?」
「名前は?」
「あ、出雲・・・」
「挨拶は帽子を取ってやるもんだぜ」
そう言い、跡部は日雀の帽子を素早く奪い取った。
帽子が無くなったことによって、日雀の柔らかな髪が風に揺れる。
跡部は、露わになった目の前の人物の顔に、目を見開いた。
「出雲日雀です」
そう言い、日雀は跡部に微笑んで返した。
「・・・お・・・お前・・・女か!?」
「え?女ですよ」
驚きを見せる跡部に、日雀は首を傾げながらあっけらかんとそう答えた。
一方、景色に見とれていた一同も、2人が居ないことに気がついて背後に止まったバスへと目を向けた。
そこで、サイドトランクの前に向かい合うように立つ二人の姿を発見する。
「あ!日雀ちゃん、帽子ッ!!」
菊丸の言葉に、青学レギュラー陣の顔が一気に青ざめた。
「なぁ・・・跡部の前に立ってる子って・・・」
「ひょっとして、女の子ちゃうか?」
一方の氷帝レギュラー陣も驚きに行動が止まる。
結局、青学レギュラー陣苦肉の策は、旅館到着と同時にあっけなく散った。
今日から五泊六日の共同合宿。
波乱の幕開けである────────